2014年5月14日水曜日

山口小旅

 昨年のお話を今頃するのもなんなんですが、このごろ連続して旅のお話を投稿しているのでついでに。というわけではなく、昨年書いてはいたのですがどうも投稿できずにおりました。いつまでもおいとくのもなんだし、今回編集しなおしての投稿です。

 昨年3月、いろいろ忙しいのが片付いたところで山口県の周南地区に行ってきました。まずは特急、新幹線と乗り継いで広島へ、そこから山陽「本線」と言いながら岩国で乗り換える普通列車しか走ってない事に驚きながら西へ向かいました。久しぶりの各駅停車はなかなか趣があって面白いものです。
 それにしても新幹線と各駅停車しかないのは格差があり過ぎますね、急行とかないんでしょうかね。 

 で、岩国駅で乗り換えてさらに西を目指します。岩国駅の階段は木製で、懐かしい感じがします。 乗り換え時間があれば錦帯橋など見たかったのですが、それほどの時間はありませんでした。



 車窓から眺める大畠瀬戸は潮の流れが速いようで、渦ができてるようでした。 さすが瀬戸内海ですね。



 今回の旅の第一の目的は一昨年末に若くして亡くなった友人の弔い、彼が住んだ町の小さな駅に降り立ちます。駅から丘の上の団地まで歩いてみます。この町に来るのはこれが3度目、彼の結婚式の時とその後1回泊りに来た事があったな。そして今回です。

 病を得たとは聞いてたものの、急にこんな事になるなんて思いも寄らなかったので長いこと会っておりませんでした。こんな事なら一度会いに来ておけば良かったと思うものの、もうかないません。私も年をとってきましたので、思い立ったときには行動しておかないと、こんなことも起きるんだと思わされます。

  弔いを済ませ、奥さんにいただいたみかんをぶら下げて(彼はみかんの島の出身で、会うときはいつも箱いっぱいにみかんをくれたものでした)、穏やかな瀬戸内の町を歩いて駅へ戻ります。この町を歩くことはもうないのかもしれません。


 宿は柳井としました。柳井は重要伝統的建造物群に指定されている古い町並みが残っているので楽しみに降り立ったのですが、駅前には赤レンガの建物と歩道が続きます。麗都路通りと言うらしく、いかにも作った雰囲気で違和感たっぷり。少し先に進んで川を渡ったところで白壁の建物が見え始め、やっと本物の町並みになります。 


白壁の町、柳井。そんなに広い範囲ではないけど雰囲気の良い白壁の町並みがありました。金魚ちょうちんは柳井の名物、」あちこちの軒先につるされてました。

 でも私は表通りよりちょっと裏通りの良い感じの小路が好きなのです。古いまま生活に使っている場所、新しくできなかった場所、ありのままの古さが良いと思います。

 重要伝統的建造物群保存地区でいつも気になるのが新しくした古さの雰囲気がそこここに見て取れること、ありのままの古さでは重伝建地区に指定されないのでしょうかね。

 それでも柳井はいろいろと残っておりました。醤油蔵も開放されてました。なんと現役で醸造が行われているところを初めて見ました。醤油の良い香りがしました。古い町並みには醤油屋さん、酒造屋さん、商家、そしてモダンな写真館が良く似合います。なぜか写真館だけはモダンな洋風だったりしてますが。 



 さて、一夜明けて広島に向けて戻る途中、宮島口で電車を降りて宮島に渡りました。一度乗りたかった宮島と原爆ドームの二つの世界遺産を繋ぐ高速艇に乗るためです。今まで潮の関係で欠航の時ばかり遭遇してましたが、今回は一日中運行しているのでチャンスです。 

 まさか満員てなことはないでしょうが、予約をしておいてから宮島見物に出かけます。









 宮島の商店街の天幕は雰囲気があっていいですね。この天幕をかけるときやはずすときにはまた風情があって、じっと眺めていたらおじさんに変な顔をされたりして。 


 それから左の写真は広島名物殻付カキ!じゃなくてその横の細い通路、向こうの路地まで通じているようですが、屋内ですね。こういう路地、抜けてみたいんですがさすがに屋内となると入るわけには行かず、こうして写真に収めるだけにしております。抜けた先は・・・、あ、向こうから回ればいける路地ですね。

 さて、いよいよ高速艇に乗り込みます。広島市内の橋をくぐるために低い船体です。広島の川に入るまでは結構なスピードで、この期間はデッキに出る事が出来ません。瀬戸内の島々や牡蠣筏を眺めているうちに川に入って行きます。最初に目に付くのは牡蠣の荷揚げ場のようです。 
これだけたくさんのカキを養殖して食べてるんですね~。 すごいもんだ。


たくさんの橋をくぐって川をさかのぼり、右に大きく舵を切ったところで原爆ドームが見えます。いよいよ到着です。 瀬戸内海を眺め、広島市内も川から眺め、なかなか良い体験が出来ました。


 最後に平和公園、原爆慰霊碑を訪れます。ここで一生懸命に手を合わせている若者などを見るといつも、あやまちは繰り返さないようにしなければね、という気持ちになります。 

 列車で旅行をするときはいつもそうですが、明るい山陽方面から山越えの特急に乗り込む頃はにはちょうど日暮れと旅の疲れで車内の雰囲気もちょっと暗くなります。暗い車内でまた楽しかった旅行を思い出すんですかね、また行きたくなるんでしょうかね。
 

2014年5月9日金曜日

旅に出掛けよう 春 山口編

 お彼岸の三連休後半の二日間で山口に出掛けて来ました。中国地方の重要伝統的建造物群はだいたい巡ったのですが、唯一残っている萩市をメインについでに関門地区も見て来ようという旅行計画です。

 今回は車なので高速道路を使ってスイスイと進み、下関の長府観光センターでお昼となりました。さすが下関はふくの関、ふく天うどん、ふく入りおにぎりなどをいただきます。「ふぐ」って言わないんですよね、下関では。「福」に掛けてるようで縁起が良さそうです。もちろんお土産もふくがいっぱい!しかし天の邪鬼な私は亀の甲煎餅!この容器が好きなんですけど!

 さて、長府の町を歩いてみましょう、山を目指して観光センターの横の細い川に沿って登って行くと、鴨がたくさんいてのんびりしてました。

 まるまる太った鯉と鴨、豊富に餌をもらっているんだろうな〜と想像できます。誰かが与えた食パンなんかも引っかかってました。



 最初に到着したのは功山寺、私たちの前を歩いてた外人さん達が戻って来るので何事かと思いましたが、工事中でした。でもそれは山門だけで、後は見ることが出来ます。なんてことを外人さんに伝えられる語学力も無いのですが。

山門を回り込んで行くと重要文化財の見学が出来ると言うので入ってみました。ここのお堂は内部に内張り天井が無く、屋根裏の骨組みまで全部見えます。築○○○年(忘れた)の木造建築はまれらしく、それで重文だそうです。一見の価値あり。いろいろ説明してもらったのですが、そちらに気をとられて写真を忘れました。波状の格子や内張りのない天井などが印象的でした。

 ここの横には現在も使っているお堂があり、こちらにはいわゆる七卿落ちにまつわる部屋(ここで滞在した)や、庭園がありました。明治維新が始まったところだとも書いてあります。いわゆる高杉晋作が明治維新のキックオフイベントとして回天の義挙を起した場所らしいです。

 長府の町並みは土塀が続いていて風情があります。咲きはじめた桜がまた彩りを添えてます。あちこち歩き回り、旧毛利邸等を見学しました。こちら、さすがに殿さまのお宅、とってもいい感じでお勧めです。他に坂の上の雲で読んだことのある日露戦争の時の乃木希典を祀る乃木神社などもありました。古い町並みがある地区を離れても、ちょっと古い昭和レトロな町並みが待っており、なかなか楽しめる町、長府でした。

 長府を離れ、関門大橋の下を通って下関駅のそばの宿に入ります。関門トンネルの人道を通って徒歩で関門海峡を渡る計画もありましたが、長府に時間を取られて遅くなってしまったので船で渡ります。

 下関〜門司間の渡船が出るまで時間があったので、唐戸の旧秋田商会ビル洋館を見学しました。外観だけで良いかなと思っておりましたが玄関先まで行くと、まだ時間があるから是非2階3階を見て行ってくださいとのお誘いがありました。
 この洋館、なんと2階と3階は和風住居となっておりまして、外からは想像もつかない内部にビックリでした。入ってみなければわからないものですね〜、外から見るとヨーロッパの街角に見えたりするんですけどね。

 旧秋田商会ビルが面白くてついつい長居し。渡船の時間が迫ってあわてて船着き場へ、渡船で門司港へ渡ります。ここで告白すると、実は事前に調べていた門司港レトロの地図や資料を調べてプリントアウトして来たのですが、いくらカバンを探しても出てきませんでした。入れ忘れたのかな?とは言っても観光地ですから門司港の渡船のりばに着けば何かしら地図とかパンフレットがあるだろうと思っておりました。



しかし門司港渡船のりばには何もなく、観光案内所となっている三井倶楽部も時間が遅くて閉まってました。しょうがない、とにかく門司港駅だけは見ておこうと歩き出すと、「工事見学場所」なんて看板が・・・。なんと門司港で一番見たかった門司港駅が工事中だったとは!あれほどネットで調べたのにこの情報に行き当たらなかったとは驚きです。しかしそんな事をいってても始まらない、港のほうへ出て税関建屋(こちらも工事中)等を見て歩きます。

さらに商店街や裏道などをたどり、門司港の風情を楽しみました。商店街のはずれになんだか木造3階建て建物発見!三宜楼と言うそうで、一度中を見せてもらいたいものだと思ったら、帰ってネットで調べたら一般公開もしてるようですね、行ってみたい!見てみたい!と思いながら写真を見てみたら・・・、なんと撮ってない。写真はそこまでに行く途中の商店街の一角、斜めの道が良いですね。

 出来れば門司港で食事も済ませておきたかったのですが様子がわからず、商店街や裏道などを散策してから門司港まで戻ります。ちょうど下関の裏山に夕日が沈むところでもう一度関門海峡を渡ります。夕食をお気楽に回転寿司で済ませ、宿の展望露天ぶろにつかります。関門海峡をゆく船の灯りを眺めながらゆっくりと・・・。もちろん翌朝もちょっと早起きしてもう一度展望露天風呂へ、朝焼けの海峡が何とも言えません。部屋からの眺望はほとんどありませんでしたが、露天風呂の眺望には満足でした。

二日目は角島大橋と萩の町並みがメインです。道の駅豊北でロードスターの幌を開けます。特牛、角島、長門、萩は以前山口に住んでいたころのツーリングコースでしたが、そのころにはまだ角島大橋はかかっておらず、今回楽しみにしてきました。特にここら辺りは浅いようで、海の色がとてもきれいに見えます。記念に往復してから萩を目指します。

途中の長門もゆっくり歩いてみたい場所ではあるのですが、さすがに帰りの工程を考えるとゆっくりできません。萩指月城駐車場に車を停めて歩きだします。萩市は重要伝統的建造物群保存地区、歩き始めると今まで歩いてきた町並みと全然違っていてびっくりしました。何せまっすぐな道路とどこまでも続く白土塀、ある種偏執的にさえ思える町並みです。

 萩のイメージとしては「土塀(練塀)に夏ミカンに鍵曲がり」だと思ってましたが、歩けど歩けど出会えません。さすがに疲れてたどり着いた図書館併設のカフェでお昼にしてしまいました。

これではならぬと市内のもう1か所の重伝建地区、浜崎地区に向かいます。こちらは商業地区でほっとするような建物が並んでおります。お寺も多く、賑わっていただろうことが想像できます。城下町、侍町としての萩と、商人の町としての萩はぜんぜん別物でした。当時の長州人の侍の気質と商人の気質はこれまた全然違ってたんじゃないかなと想像しながら歩きました。「長州人は有能な役人だが面白味が無い。」と言われたそうで、侍町はなるほどと思わせる町並み探訪でしたが、浜崎地区はそんなことないよというような雰囲気でした。どちらかと言うと商人町の方が好きですね。

それでもやっぱり土塀に夏ミカンを見てみたいと、帰りに別ルートで探して1か所だけ探し出して写真を撮りました。帰って「萩 土塀 夏ミカン」でネット検索したら同じ場所の写真ばかり出てきました。観光戦略にまんまとはまったお話です。

萩を離れると日本海沿いを一路東へ、益田を過ぎるといつもの道となります。高速道路も整備が進んでだいぶ走りやすくなりましたが、まだまだ時間がかかります。早く全線つながらないかな~?